車がきました。
私名義の車。
赤のジープチェロキー、95年式!! 今年2007年だよ?
私の従兄弟が国産車のディーラーに勤めており、時々私が
「30万くらいの安い中古の外車買ったらどうかなぁ?」
とたずねると、
「趣味で買うんだったらいいけど、毎日使う車として買うのは
ダメだな。そういう外車は、いつ、いきなりプスンと止まるか
分からないから。」
と言われていました。
しかも何度も釘を刺すように言われていました。
それはきっと、日本車のディーラーに勤めてるからだ、と
思っていました。
人の言うことは聞くもんですね。
車検を受けて整備してもらったばかりのチェロキーに早速乗り込み、
自宅に持って帰って、急な坂道から敷地内にバックで入るため、
あーでもない、こーでもないとブンブン吹かしながら切り返しを
していました。
すごい坂だから、ブレーキを左足で踏みつつ、ソロソロとアクセルを
踏まないと、急にブレーキ離すと後ろにずって後退しちゃう。
F1レーサーみたいじゃ。
四駆だと軽々できると思っていた車庫入れですが、
車がでかすぎて、幅員4mの道から串刺しで入れるには何度か
切り返さないといけなかったのです。
大きいって言ってもねぇ。
寸法だけで言えば、私が去年まで乗ってたトヨタのセルシオよりは
ちょっと小さいハズなんです。
私の自慢は、おんぼろセルシオながら、当てたりこすったりしたことは
ないってこと。(めちゃくちゃ慎重に車庫入れしただけなんだけど。)
セダンよりRV車で目線が高い分、タイヤのすぐ下がどうなってるか
よく分からないので、何度も確認しながら、ブンブンやってました。
いいかげんにしないと近所迷惑かな、とも思ったけど、いきなり
側溝に落とすなんてのはイヤだし、慣れるまでは慎重に。
慎重にしすぎたのか?
いきなり「プスン」とエンスト。
もういくらエンジンかけなおしてもかかりません。
道のど真ん中、斜めの状態で。
うそぉ・・・。
家は坂道のてっぺん、それ以上は階段になっているので、
自分の車以外は通らないし、人もまず通らないので、
交通を妨げることはないけど、
車がずっていく程の坂道で止まっちゃうなんて、怖いじゃん。
車を買ったお店やクライスラーに電話してみるけど、既に夜10時半、
どこも出てくれない。
こんなときのJAFよね、と電話すると、
家族会員だった私のカードは、11月末で両親により抹消されていた。
ひどーーーーいっ!
クレジットカードについているロードサービスも契約更新してなくて
期限切れ・・・。
ネットからJAFに入会手続きしてカード払いで決済すると、すぐに
仮会員番号が発行されて、修理が会員料金で呼べる、と教えて
もらったけど、そういやウチは光ファイバーの工事が遅れていて
ネットまだ使えないんだった。
一種低層住宅地域の山の上、コンビニすら徒歩圏にはなく、
こうなったら陸の孤島状態。
携帯サイトからJAFの入会手続きをしてみましたが、仮会員番号が
発行されるまでに3時間かかるとのこと。
げーーー。
夜中1時半までこの状態?
諦めて、サイドブレーキをひき、タイヤの後ろに石をはさんで
時間をおくことにしました。
多分、多分だけど、アクセルを踏むからエンジンの火花が散る
ところに燃料が供給されたけど、ブレーキも踏んだから発火せず
ガソリンで濡れてしまった、かぶった(?)という状態らしい。
それなら、そこが乾けばいいのか?
約2時間後、エンジン、かかりました。
車庫入れもちゃんとできました。
でも、今後もこうなるかも知れないと思うと、怖いよー。
従兄弟の言葉が頭を巡る。
「そういう外車は、いつ、いきなりプスンと止まるか分からないから。」
JAFは呼ばなくて済んだけど、入っておかなきゃね。
明日から大丈夫だろうか。
女性が一人でレストランに入ったりするのは、慣れるまでは
なかなか気が引けるもの。
私も数年前までは待ち合わせ以外では、一人でお茶するのも
なんか落ち着かないものでした。
出先で時間つぶしにマクドやミスドで粘るのも、なんとなく
落ち着かなかった。
今でも一人でまったりするには、相当いごこちのいいcafeとか
じゃないとダメだけど、昔に比べたらとんでもなく「おひとり様」
が平気になりました。
OLやめて設計事務所に入った頃、一人で現場検査や遠方の
役所調査に行く時、お昼をはさんでしまうと、一人で食事しなきゃ
ならないから。
コンビニでおにぎりやサンドイッチ買って車の中で食べるってのも
アリだけど、なんかつまらない。
そこで、まずは手始めにファミレスからはじめてみたのですが、
「仕事だ、仕方ない」
という大義名分を得たような気がしてどんどんエスカレート。
いわゆる「喫茶店」みたいなところも平気になってきて、
とうとう牛丼の吉野家に。
混み合ってる時はちょっと視線がキツいような気がしたけど
「思うより他人(ひと)は私なんか気にしてないぞ」
と言い聞かせてしまった。
一度、「あ、焼肉定食だ!」と思って入ったお店が普通の焼肉屋さんで、
調理済みの肉がお皿に乗って出てくるのではなく、
生肉と炭火が出てきてしまった時にはちょっと引いたが・・・。
「これが一人焼肉だ」
と思いながら、昼間っからじゅーじゅー焼いて食べました。
さて、今日は会社を午後休にして芦屋・西宮あたりをウロウロ。
警察に行って車庫証明を取ったり、住所変更をしたり、
銀行の貸し金庫に婚約指輪を預けたり。
(マッチ1本で全焼してしまいそうな仮設プレハブ。入り口のカギだって
簡単に壊して侵入されそう。貴重品は貸し金庫に入れることにしました。
土地の権利書と共に、去年もらった婚約指輪も。だって今の私の
年収くらいする。指輪が高いのか私が貧乏なのか。)
お腹がすいたし、すごく気分がラーメンだったので、2号線沿いの
ラーメン屋さんへ。
2号線沿いのラーメン店はおいしくて有名店が多いけど、駐車場が
ないところが多い。
ここ数年で出来たんだと思うけど、「希望軒」でも「夙川レトロ館」は
大きな店構えで駐車場もある。
2号線を通るたびに、「今度行ってみよう」と常々思ってました。
一人で行くとは思ってなかったけど。
しかーし、駐車場、止めにくい。
交通量の多い2号線から歩道をまたいで串刺しの駐車場にバックで
止めるのは辛いのに、歩道の切り下げが微妙な位置にしかなくて
とても止めにくい。
2号線の車の流れを止めながら(すごい迷惑なヤツ)バックで侵入、
そこから切り替えして切り替えして、目標の車マスに入れる。
もうめっちゃ慎重に緊張しながらやりました。
私の後に、ベンツのワンボックスカーみたいなのがバックで駐車
しようと入ってきましたが、縁石がそんなに高いと思っていなかった
らしく、後輪が縁石を乗り越えたものの、車の底(お腹というのか)を
ガガガガーーーっとこすってしまった。
運転してた人は相当焦ったらしく、すごい勢いで逃げるように走り
去ってしまいました・・・。
ショックだっただろうなー。
店内は昭和初期のレトロな感じ・・・でもちょっとレトロすぎて寒々しい
ような気がする。
オーダーは希望軒とんこつラーメン。
希望軒とんこつラーメン
しょうゆベースのとんこつ味がおいしい。
ちょっと麺が固めな気がするけど。
でも実際に私が頼んだ結果はこちら。
すごく地味。
こう見えても食べかけじゃないよ。まだ箸はつけてない。
このビジュアル的に不味そうな理由は、そう、ネギ抜きだから。
さびしいからと思って、そばにおいてあったもみのりを
散らしてみたけど、余計わびしい。
ホントはミニチャーハンも食べたかったけど、
「チャーハンのネギ抜きはできません」って
言われたから断念。
ネギ、大嫌いなんです。
というか、ネギ食べると半日くらい気持ち悪くなる。
ネギが混入していることに気づかなくても、
後で気分悪くなって「あ、ネギ入ってたんだ」って分かる。
なんか話がバラバラになってしまったけど、
一人ラーメンだってできるようになった三十路後半女でした。
西宮市内は晴れ
阪神大震災から12年が経ちました。
あんなに恐ろしい体験をして、お友達を亡くして、でも12年経つと、
この日をニュースに教えられるようになってしまいました。
忘れちゃいけないと思っているのに、日常に追いやられてしまう。
私は当日ひとり暮しのOLで、お茶の初釜を終え、
拘束着のような振袖を脱いで「明日からまた会社じゃ~」と嘆きつつ、
早めにベッドに入って爆睡していました。
どうやって目が覚めたのか分からないけど、
気付いたらベッドに座って壁にしがみついていました。
真っ暗な部屋でただただゴーっていう豪音しか聞こえない。
遊園地のアトラクションに振り回されるように体を振り回され、
宙に浮くような無重力に襲われる。
よくタレントさんがテレビでロデオマシーンに振り回されているけど、
あんな感じかな。
これは何かの天罰だと思いました。
終末になって私の世界が終わるんだと。
すごく長い時間に思え、これは夢かも知れないから叫んでみよう、
そう思って(冷静?)「イヤーっ」(半分「ぎゃー」に近い)って叫んでみたけど
夢は覚めなくて、現実か、いよいよ終わりか、と観念してしまいました。
後で聞けばわずかな時間だったというのに、私はいろんな事を考えていまた。
家が倒壊して命を落とした、とても優秀で美しい女性だった私の友達も、
わずかな間に色んな事を思い巡らせたのでしょうか。
中国からの留学生でした。
隣のリビングからガラスがはじけるような音がしました。
90リットルの海水魚の水槽2本が、テーブルから落ちずにガラスが爆発して
水と魚たちが吹き出して床に散乱した音でした。
え?ガラスの音?
と、そっちに注意が向くと、いつのまにか揺れが止まっていました。
ここまではすごくクリアに覚えているのに、その後は、切れ切れにしか
覚えていません。
リビングは海水とガラスと砂が散乱してその上を飼っていた魚が苦しそうに
はねていました。助けてやることはできませんでした。
テレビも冷蔵庫も食器棚も、思わぬ距離まで飛んでいて壊れていたけど、
幸い、私が寝ていたベッドには何も落ちてきませんでした。
ファミリータイプの間取りのマンションに一人暮らししていたので
周りの住戸の人たちはご近所でそろって小学校とかに避難していきましたが、
私は近所に誰も知り合いがいないので、一人ぼっち、
地元じゃないので小学校がどこにあるかなんて知らないし、
夜が明けてガス臭さが消えるまで、パジャマのままマンションの駐車場に
座っていました。
悲しかったなぁ。寒かったなぁ。
途方にくれるとは、こういうことかと思いました。
その後はバタバタで何がなんだか。
偶然、早い時間に実家の母からの電話がつながり、
「ひどい地震あったねー。大丈夫?」と、割と軽いノリ。
まだニュースを見ていなかったらしい。
緊張の糸が切れたように、急に泣き崩れてしまい、
「もうめちゃくちゃだよー」と訴えましたが、母には様子が分からないらしく
「ま、部屋の中片付けたら、お昼から会社に行きなさいよ。」
と言われ、切られてしまった・・・。
その後、母もテレビで、高速道路やビルが倒れたりしている様子を見て
これはヤバい、と分かったそうですが、もう電話はつながらなくなって
しまい焦ったそうです。とりあえず生きているということは分かっているけど。
それ以来、私の生活はバタバタと変わり、会社でも大阪から神戸に転勤
になったり、地震を期に大きく流れが変わってしまいました。
何もなければ、あのまま、毎日大阪のオフィスで面白おかしく日々を
過ごしていたのかなー。
あの頃の私が今の私を見たら、びっくりするだろうなー。
早々に玉の輿に乗って、優雅な専業主婦になるんだ、っていうのが
人生の目標だったもんなー。
なんで働いてんの!?なんでそんな年まで結婚しなかったの!?と
未来に絶望するかな。
日々の生活に追われて地震のことも、被害にあった人たちのことも
考えることがなくなってしまうけども、
年に一度くらいは思い出していこうと思います。
12年経っても色んな苦しみから抜け出られない人が、まだたくさん
いるようです。
私はいまだに地震に似た揺れとか、ヘリコプターの音(地震当日の
からしばらく、ヘリコプターが何台も上空を飛んでいて、夜になると
余震とダブってヘリの音が怖かった)を聞くと、ぞっとして変な緊張感が
走り脂汗がでます。
私でもこんななんだから、もっとひどい体験をした人にとっては
どれほどの苦痛だろうかと思います。
頑張れっていうのも無責任すぎるかも知れないけど、
いろんな人のいろんな辛いことが和らいでいけばいいなと思います。
毎朝、起きると寒いです。
冬だから当たり前なんですが、12月末まで暮らしていたマンションは
SRCの高層で壁も床も厚かったせいか、すごく暖かかったんです。
真冬でもエアコンの暖房は特に必要なかったし、朝起きたときも
ふんわり暖かかった。
(たまに、夜中に暑くて布団を蹴り落とし、寝冷えすることもあったけど)
しかし、引っ越した先は六甲山系の山の中、しかもさすが仮設プレハブ
朝なんか寒いのなんのって。
起きるのがイヤになりテンション下がりまくりの飼い主をよそに
コザクラのちょびは、飲み水を入れ替えてやると早速水浴び。
普段、私がキッチンで洗いものをしていると、
「あ、あいつ一人だけ水浴びしてるっ!」とでも言わんばかりに
急いで飛んできて、私が手のひらで水を受けると、流水と
手のひらにたまった水たまりで水浴びをします。
この時期、非常に手が冷たいけど
(小鳥はお湯で水浴びすると羽の油が抜けてしまうのでよくない)
カゴの中で水浴びされて、エサも床もずぶ濡れになって
濡れた糞がぷーんと臭い出すよりもマシと
水浴びはなるべくキッチンでお願いしておりました。
でも今朝はガマンできなかったらしい。
水を入れ替えたところ。
気持ちが高まってこの後、羽を膨らませる。
なんで携帯で撮るとこんなにボケちゃうんだろう。
先ずはクチバシの先だけつけてブルブルッと
震わせて軽く水を散らす。
ウォーミングアップか。
だんだん勢いがついてきて、
羽を羽ばたかせてヒートアップ
してくる。
もう止まらない勢いに。
狭い水入れに飛び込んで、頭から水に
浸かっちゃう。
狭いから頭を震わせてるときに
よく容器やカゴの網にクチバシを
ぶつけています。
ふーっ、と一息。
とりあえず満足したらしい。
周囲は水でベタベタ。
今回は小さい容器での水浴びなので
背中までは濡れていないが、
この時が「昆布くさい」
狭いところでブルブル全身を震わせるので、あちこちに
羽やクチバシをぶつけながらも水浴び終了。
満足げでした。
寒くないのかねー。
大阪市内は雨
今年最初の設計打ち合せ。
年末は1000万円オーバーの見積を前に、設計者と施工者から
VE案を年明けに出してもらいましょう、というところで終わっていました。
さて、どんな案が出てくるんだろう?
出てきた案は、3階建て(1階RC半地下、2,3階木造)から、
巨大な鉄骨架台の上に木造2階建というものでした。
簡単に言えば、斜面から突き出した鉄骨組みの巨大テーブル
を作って、その平らな面の上に木造の2階建の家を置いたようなもの。
最初からそういう選択肢はあったけど、4mを越す鉄骨の柱
をトラックで搬入できないとか、搬入できても建て方(組み立て)に大きな
クレーンが必要で、敷地に入って来れないとか、斜面を越えて
クレーンの腕が届かないとか、そういう理由で見送っていたハズ
なんだけどなぁ。
ま、出来るんならそれでいいんですが。
で、家の間取りは前回の間取りを出来る限り踏襲したプランでしたが、
前のプランは3層のフロアがあったから、トップライト(天窓)から光を
取り入れて、大きな吹き抜けで下の階のダイニングに光を取り込んだり
上のリビングとの一体感を作ろうという話しだったんで、
今度のプランにはあまり関係ないような・・・でもがんばってプランの中に
無理やり吹き抜け、しかも畳1帖分が取り入れてあったりします。
施工会社さんが頑張って考えてくれたんだろうな、というところには感謝します。
でも、そのまま採用する訳にはいかないなぁ。
上下階に分かれたダイニングキッチンとリビングで34畳。階段をまたいだ
畳1畳分の吹き抜けでしかつながっていないの・・・。
そんな無意味に広いスペース、いらんやろ・・・。
ちょっと「とほほ」って感じがします。
さて、お値段。
3100万円。
こらーーっ!予算は2600万って言ってあったろーーーっ!?
もー、何のためのVEなんだよ。
ムダに広い間取りを削ってプランを変更していけば、今より5坪は
軽く減らせるから、坪単価70万(高いって)として、350万はすぐに
減額できそうだけど。
こっちが減額案出す場面じゃないと思うんですが。
それに、そんなに巨大な鉄骨架台が組めるんだったら、上は
木造じゃなくて軽量鉄骨か何かにした方が、大工手間も減るし
下の架台工事と一括で鉄骨発注、建方もできて、工期も短縮
できるのでは?
そういう工夫をVE(Value engineering)というのでは。
なんか、だいぶん期待はずれ。
木造部分のプラン変更をしても、結局はハウスメーカーのプランと
同じになってきてしまうし。
それじゃハウスメーカーに頼んだ方が楽でいいしねー。
(実は年末に、ちょっとお高いハウスメーカーSRにもプランを頼んでしまった。
ちゃんと測量やりなおして地盤調査・・・サウンディングもしてくれるって
いうし。5万円はかかるけど、一般的な地盤調査の調査費用を思えば
破格値である。きっと今回の土地では15万はかかったはず。
きっとSRは高いから、値段が折り合ってこないとは思うけど・・・。
坪70万なら今の値段と同じくらいになるけどね。)
例えば、鉄骨架台の上の木造2階建を軽量鉄骨2階建にして、
もっと床面積を狭くする、というので予算が折り合ってくるなら、
それはそれで、楽しいプランが色々考えられそうです。
木造よりも大空間が作れたり、大きな開口部(窓)が取れたり、
傾斜屋根じゃなくて陸屋根(平らな屋根)にして、ルーフバルコニー
として使えるかも知れない。
眺めがいいだろうなー。
もう1月半ばにさしかかっているのに、あーでもないこーでもないと
プランも決まらない状態じゃ、工期がどんどんずれて行っちゃう。
来週、見通しがつかなかったら、計画は白紙にして、SRや前回
なかなかいいプランを出してもらったSFなど、ハウスメーカーに
あたり直しをすることになるでしょう。
大阪市内は曇り 夜から雨になるらしい。
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